『折り梅』を取り上げて頂いたプレス情報を講評等添えてご紹介します。
 
 

 
朝日新聞社
「アエラ」 '01.12.31 - '02.1.7 合併増大号
を読んで
 

講評 福島 昭英

 
先週の12月17日でしたか、夜食に近い我が家の夕食の時間に大学に通っている娘がAERA 01.12.31.- ’02.1.7号(朝日新聞社刊、アエラ、合併増大号)の46ページを開いて私の目の前に突き出しました。

見ると「人生を重ね合わせて」というタイトル、サブタイトル「痴呆介護映画=折り梅=」で映画「折り梅」を紹介しご講評頂いています。映画「折り梅」の中には、私がとても気に入っているシーンがいくつもあるのですが、この記事では原田美恵子さんが演じる巴が左手に絵の具入れを下げ、右手にキャンバスと折りたたんだイーゼルを抱え込み、義母政子がウエスの入った小さなケースを両手で下げて二人ともそれぞれの思いを胸に、道を見つめて歩くスチル。

とても思いのこもったこの写真は文句なしにいい写真ですが、この講評記事ではっとさせられたことが幾つかありました。一つはサブタイトル「痴呆介護映画=折り梅=」。痴呆介護映画ねぇ。なるほど、と思いました。このような映画の分類が既製品としてあるわけはありませんが、読む人にわかりやすく、映画の内容をわかりやすくするためという目的で、記事を書いた人が意識して持った視点なのだろうと。また、松井監督の第一作目「ユキエ」の観客が老いてゆく人たちを身近に「人生を重ね合わせて」映画をみた、そして第二作目につながった、ということも言いたかったのだろうと思います。

もう一つの驚き

もう一つの驚き。むしろ、エグゼキュティブ・プロデューサーというよりも、ファンダー(出資者)としての私の幸運ということです。松井監督の悪戦苦闘についての、記事では「松井さんは製作費の調達に苦しみ、・・・・・」というところです。私もこの映画のために低めの清水の舞台から飛び降りる気持ちで個人的に身銭(私にとっての大金)を切って支援をしています。どこにでもいるような普通の人間(ジジイというほうが当たっている)がヤミクモに大金を出資するというのはあまりないこと。そしてこんなに素晴らしい作品を作っていただけるということも100万分の1の幸運といっても良いのではないか、ということですね。ですから、支援の多寡はともかく、たくさんの支援者は幸運にも松井監督から良いご褒美をもらったんだと思います。

映画「折り梅」は「痴呆介護映画=折り梅=」と分類されても、あるいは家族物語映画とか、別の呼び方であれ、美しい人生の輝きの時を描いて2002年の春から公開されます。楽しめる映画ですから是非多くの皆さんに楽しんで頂けば嬉しいなぁと思います。以下に、アエラの記事の全文をご紹介しておきます。


AERA 01.12.31.- ’02.1.7号(朝日新聞社刊、アエラ、合併増大号)の46ページから引用しています。私の好きなスチル「絵を書きに行く政子と巴」と一緒にご紹介します。

 


痴呆介護映画「折り梅」
「人生を重ね合わせて」

痴呆で苦しむのは本人。温かくそのままを受け入れた一家の実話。
松井久子監督の前作「ユキエ」の観客がこの映画を作らせた。

「一番大切な人に見せたい作品です」。全国にいる応援団が熱い。


2002年春、東京のシネスイッチ銀座で公開予定の映画「折り梅」を製作・監督した松井久子さん(55)はシアワセな監督だ。商業主義が映画を作らせる業界で「観客が作らせた映画」を世に送り出す幸運に恵まれた。
「折り梅」はテレビ番組プロデューサーだった松井さんの監督デビュー作となった「ユキエ」(98年公開)の全国巡回上映会から誕生した。

老いることの意味考え
米国人の夫がアルツハイマーに侵された日本人の妻を介護する、米国を舞台にした夫婦愛を描いたつもりの作品なのだが、観客は痴呆の介護映画として見に来ていた。老いることを否定的に考えずに、人生の大切なことを忘れていく痴呆を「人生のスローグッバイなのね」と主人公に語らせた映画に、介護問題が身近な女性達は自分の人生を重ね合わせていた。
98年12月に愛知県東郷町で開かれた上映会で、隣町の豊明市から観に来た小菅もと子さん
(49)と車いすの義母マサ子 さん(85)に出会った。
「映画には私達と相通じることがあって感動しました」涙のもと子さんから「読んでください」と「忘れても、しあわせ」(日本評論者)をもらった。
もと子さんは夫の母であるマサ子さんの痴呆に戸惑い、苦しんだ末、あるがままに受け入れればいいんだと気付き、サマ子さんから「母」のように信頼される不思議な関係が出来上がった。リハビリで始めた絵画が眠っていたマサ子さんの才能を開花させ、絵の個展を開くまでの3年間を日誌風に綴った本だ。

1万人超えた署名数
「「ボケどく」といわれるが、物忘れに苦しむのは本人。オープンにすることで、多くの人に知ってもらいたくて出版しました」
松井さんは、この本を原作に痴呆の介護と家族をテーマに正面から取り組む第2作を撮ろうと、小菅さん一家の快諾を得た。
だが、資金集めに悪戦苦闘した。何度もあきらめかけた時、苦境を知った小菅さんの地元で「ユキエ」の観客が映画化支援の勝手連を旗揚げした。製作費1億5千万円の3分の1を、映画のロケ地にもなる豊明市から出させようと始めた署名運動は、6万9千人市民の1万人を超す賛同を得て、市議会を動かした。
全国的な「折り梅」応援団も誕生した。各地に松井監督の第2作を楽しみにしている「ユキエ」の観客がいると聞いた、名古屋の女性5人が事務局を引き受け、会報を出した。やはり、ロケ地になった犬山市を中心に会員は千人に広がり、1千万円も集まった。その中には「次作に使ってください」とテッシュペーパーに来るんで渡した主婦の千円も入っている。
「折り梅」には原作に無い印象的なシーンがふたつある。
吉行和子さんが演じる義母政子が、添い寝する原田美枝子さん扮する嫁巴を「母」と思い込み、その乳房に手を伸ばすシーン。そして、デイケア施設の「語る会」で政子が皆の前で巴に感謝する場面で、止まらない涙を拭こうと、二人が一枚のハンカチを投げあうように相手に渡すシーンだ。(このシーンは最高です=エグゼキュティブ・プロデューサー注釈)「ユキエ」上映会で知り合った介護家族やデイサービス施設を再取材し、信頼関係を気付く中で教えてもらった「大切なシーン」だった。
松井さんは製作費の調達に苦しみ、途中で「失踪」や「自殺」を考えたこともあったというが(これは本当に申し訳ない!=エグゼキュティブ・プロデューサー注釈)「観客が後押ししてくれて出来上がった。映画づくりに関わった多くの人の思いが吹き込まれており、力強い映画になったと思う」
全国を回り「ユキエ」の観客との再会を楽しみにしている。
 

記事引用終り


追記
モーツアルト・ベートーベンもダ・ビンチにもパトロンがいて素晴らしい芸術を生んだのです。日本にもアメリカのように映画やミュージカルのようなエンターテインメントに対して企画を受けて、ファンディングをするようなファンド組織が欲しい、と思います。