98年の2月、前作『ユキエ』が完成から1年近くを待って、『折り梅』と同じ東京銀座のシネスイッチでの公開が決まった時、最初に全国紙に作品紹介の記事が載ったのも、朝日新聞の家庭欄でした。
あの日の配給会社には全国からの問い合わせ電話が殺到して、改めて新聞記事の威力の凄さと、お客様の反応の素速さに感動をおぼえたと記憶しています。
そして今回、再び朝日の家庭欄に『折り梅』の記事が掲載された12月28日、その日も配給会社のオフィスは全国からの問い合わせ電話がひっきりなしに鳴り響いて、またまたスタッフは嬉しい悲鳴を上げることになったということです。
日本映画は
日本映画は、大人が見たいと思う映画があまりにも少ないとは最近よく聞く言葉ですが、特に『折り梅』のような題材の作品は、日頃ほとんど映画を観る習慣がなくなってしまった方々がまず最初に興味を持ってくださる映画なので、新聞の家庭欄は私にとって最も頼りになる情報伝達の場だと思っています。また、そのように問い合わせ電話が殺到するということは、介護について、家族の問題について、切実な問題を抱えていらっしゃる方がいかに多いかを物語っていると言うこともできましょう。
この記事の中の私のコメント、「この作品で生きる意味を問いかけたかった」について、もう少し補足させてください。
最近の私には、痴呆や介護問題という狭い範囲に限らず、老いた人も若者達も、男も女も、人は<何のために生きているのか?><何があったら生きられるのか?>という窮極の命題について、皆が自分自身に問いかけてみなければならない時が来ているのではないかとの思いがありました。何故か生きている実感が希薄になってしまった時代、情報の量の多さに生きている気にさせられている時代、そして何かに真正面から向き合うエネルギーが摩耗してしまったこの時代――。そうした時代だからこそ<生きていくこと>の意味を、もう一度当たり前な暮らしの中にみつめてみたい。きっと、真正面から向き合うことのなかからしか見つからないものがあるのに違いない・・・。
そんな思いで作ったのが映画『折り梅』なのです。
今回もぜひこの朝日の記事が起爆剤となって、年齢性別を問わず幅広い層のお客様が上映館に足を運んでくださることを夢見ながら、希望にもえて春を待ちたいと思います。