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『忘れても、しあわせ』の中には、『ユキエ』の時に学んだ筈の私の痴呆理解がいかに狭くまた拙いものであったかを教えてくれる、あまりにも沢山のことが詰まっていた。つくづく「痴呆は奥が深い」と思う。そして、初期のうち混乱して狂気を繰り返していたマサ子さんを辛抱強く「忘れても、しあわせ」の世界に導くことに成功したもと子さんを心の底から
「立派な人だ」と思った。この家族の物語を、もっと広く多くの人々に知らせたい。これを映画にしてみたい。この世界こそ「私の宿題」の答えなのだ・・・
」
と思えていたのである。 作りたい題材が見つかれば、身体は自然に動き始める。映画作りの大変さをキレイに忘れてしまったわけではないけれど、身体の中のチャレンジ虫がガサゴソと動き出して、再び私を「無謀な行為」へと駆り立てるのだ。今回はまず自分でシナリオを書いてみようと決意して、『忘れても、しあわせ』を繰り返し読みながら、原作に描かれた世界を忠実にシーンに起こしていく。
そしてほぼ三ヶ月後、第一稿が書き上がった。ダメダメ・・・、これでは介護と痴呆の啓発映画にしかなっていない。私が目指しているのは、介護にも痴呆にも関心のない人々にも通
用する、もっと普遍的に<生きること>をみつめる映画であるはずなのに、少しもそうはなっていない・・・。改めて自分の力の無さを思い知った。
更に半年ほど、頭から書き直してはそれを反故にすることを繰り返し、ついに
「何でも自分でやろうと思っては駄
目だ。私とはまったく違う発想の人の血を入れなければ」
という思いに行き当たり、信頼するベテランスクリプター兼シナリオライターの白鳥あかねさんに相談する。そして白鳥さんと訪ねた香川県高松の呆け老人を抱える家族の会「夕映えの会」の人々、原作にも登場する静岡のボケ予防教室「スリーA」、島根県出雲の痴呆デイケア施設「小山のおうち」、愛知県井犬山市のグループホーム「あんきの家」・・・。『ユキエ』の上映会をきっかけに出会い、その後も交流が続いていた各地の人々を訪ね取材するうちに、作品の目指す方向がどんどん定まって行った。 ほんとうに不思議なことだと思う。痴呆の介護映画を超えたものを作りたいと思いながら、あえて真正面
から痴呆の介護の現場に立ち会ってみることから始めてみたのだが、その世界に深く足を踏み入れれば入れるほど、逆に介護を超えて<人間が生きること>の本質が見えてきたのだ。
取材した人々は皆、痴呆と真正面から向き合っていらっしゃる。そのことに無条件の<よろこび>を見いだしていらっしゃる。そして私は、そんな人々の姿を目の当たりにすることによって、逆に、一般
の人々が何を怖れ、何を忌避し、何を見失っているのかが鮮明に見えてくる気がしたのである。介護から目を逸らさずに介護を見つめることによって、逆に介護を超えた<人間愛の映画>ができる・・・そう思えたのは本当に意外なことだった。痴呆がどういうものかが解ると、私はもう「主婦の叫び」や、「夫婦の問題」や「家族のあり方」という方向に自由に筆を走らせて行くことができた。
また、そんなシナリオ作りの試行錯誤のなかで、親友の美大教授森山明子さんから<折り梅>のエピソードを伺う幸運にも恵まれて、映画のタイトルは一も二もなく、『折り梅』と決まった。
2000年11月。原作を読んでから二年の後、映画『折り梅』のシナリオは実に<17稿>を数えて、ようやく完成したのである。
<Vol.1 完>
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